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失われた町のかたち [2011年]

リスボンの町をフィックスでなが回しする作品。
とても詩的で、映し出される映像の太陽の温かみを感じる作品である。
街並、人の日常、臭い、日差しを感じる作品だ。
中盤から、監督のメッセージが出てくる。
それは哲学的で、私には難しい内容であった。

作品の最後にもメッセージがあったのだが、
舞台挨拶でのこと。
96〜7年に撮影し、その後奥さんが家を出てしまった。
翌年1人娘を連れ去り、監督は法的に娘と隔離される生活がはじまった。
リスボンのフィルムを見ると、娘の事を思い出してしまい
なかなか見る事ができなくなってしまい、編集が遅れてしまったというのだ。
随分経って、やっと作品を作らないとダメになるとこの作品ができたというのだ。

作品を観る前に私は何の情報を入れないで観ると以前も書いたことがあるが
こんな私的な情報をインプットされてしまっては、これらの映像が
すべてその情報に引っ張られてしまい、少し、いや大いに失敗しているように思う。
すべてが、感傷的に感じられてしまう。

また、音楽は入るのだが、インタビュー無しのシーン撮りが続く編集の良さ悪さに気づけた様な気がする。長回しをする事で画に映し出される情報が多ければ多い程、人は集中力を欠く。
それが続くと、観ていて疲れてしまう。
被写体が限定されたスポット的な照明などの画作りだとそれとは異なるけど。
画としてシーンシーンの共通点が導きだされなくてはならないのだと。

この手の作品は、観客を賢さを試している作品である。
一さじのティースプーンくらいは説明的な部分があってもいいのかもしれない。
それは観ている側に取って全く甘さを感じさせない程度だったりするはずだから。

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アメリカ、ポルトガル 2011
ジョン・ジョスト監督

http://www.jon-jost.com/

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あずみ

写真も映像も
そして、言葉も心も
伝えたい気持ちを全部
100%投げかけたら
伝わらないんだよね
なぜかわかる?
みるひとの気持ちを
作品に乗せられないから・・
by あずみ (2014-06-12 20:04) 

カエル

あずみさん
そうですね。もっとも。
映画は、決定的シーンはなくてもいいんです。その前後が写っていたら。後は想像するから。
詩的な私的な映画は、なかなか表現が難しいなぁと思ったのでした。

by カエル (2014-06-13 08:16) 

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